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逃げ続けた結果が起業?

 はい、これは私の事です。サラリーマンは都合15年半勤めておりました。

 在籍が一番長い会社は7年6か月、次が2年9か月でした。問題なのはこの2か所以外は皆1年以内なのです。都合6回転職をしました。35歳の正月から39歳の正月まで毎年所属会社が違う状態でした。

 しかも、38歳の時6社目の会社からにリストラされました、私は仕事が出来ると自分では思っていたし、その会社でも見込み客増加に短期間で貢献したので、正直かなりショックではありました。その会社は当時社員の1/3に当たる8人を指名解雇しました。次の準備をしていなかったので、転職活動はかなり難しかったです。

 ま、見込みは売上になる前なので、そこまで体力がなかったということでしょうね。営業責任者だったので責任を取らされた形でしょうか・・・

 会社都合の退職だったので失業給付はすぐに出ました。まさか自分がハローワークのお世話になるとは思っていませんでしたが、説明会の時に人が一杯いたので「こりゃ景気が悪いのかな?」と思った2002年11月でした。

 比較的高給だったので失業給付は月36万、最大で11か月貰える形だったと思います。ただ、それでも住宅ローン、扶養家族がいるので全然足りないのです(本当)。独身だったら半年くらい働かずに海外に行ってたかも知れません。

 なので、転職活動は「仕事よりも条件」で活動していたのですけど、2002年は景気も悪かった事もあってなかなか決まりません。IT営業職はニーズは高いものの「条件」が悪くて、そうですね50社応募して、20社面接に行きました。約1か月半転職活動し、最終的には前職の取引先担当者に紹介された8人のITベンチャー会社にお世話になることにしました。

 そこは「条件」は許容範囲内ではあるものの「財務状況」が良くなくて(思うとなぜあんなに高給を出せるのか不思議でした。ま、そのくらいじゃないと人は来ませんからね。)今でも忘れていないのが、入社2か月目の全体朝礼で「このままだとキャッシュフローは2か月で無くなります。会社が潰れるかも知れない。」と当時の副社長が言っていた事です。

 「こりゃーこの会社は長くないな・・・」と思い、起業に向けて準備をすることにしました。仕方ない理由ではあるものの都合7社勤務の私に好条件で勤められる会社はないでしょう。

 だから「これはもう自分で始めるしかない!」と思えるようになったのです。

※補足:最後の会社は、実はまだ存在しています。35歳から1年未満で退社した会社は都合4社でしたが、残っているのはこの会社だけ、会社というところは「経営者」が諦めなければ続くもののようです。それ以外の3社は2社が倒産し引き継ぎ会社がないまま消滅。1社は他社に吸収合併されました。

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